「冒険王・横尾忠則」展 @世田谷美術館

砧公園

初用賀。どころか、初の東急田園都市線
田園都市」って、すごいセンスの言葉だ。そして、椅子がかたかった。

去年のはじめに愛知のルソー展で横尾さんの描いたオマージュものを何点か見て、それ以来ルソーの絵の持つ「どことなーく不気味な感じ」がすごくイメージの中でクリアになったということがあったので、ずっと行きたかったのだった。

日曜だったこともあって、砧公園の「市民の憩いの場」っぷりを目の当たりにして、東京的「公園文化」実感。「東京にはまとまった緑が結構そこここにある」ということ自体にもだけれど、それがきちんと「機能」しているということにも、来た当初は結構驚いたものだった。


さ、それはさておき。

会場を入るといきなりルソーの部屋。それもきちんと「元画」の小さなレプリカが併設。

もう、オマージュとして「描く」ちからは勿論、「パロる」アイディアも、それと対になったネーミングセンスも、アンリ・「うっそー」・ヨコオに心底喝采をおくりたいとおもいました。

パロディの方向にしても、うしろにいた小学生の女の子までコロコロ笑っていた、鼻から口から耳からタバコをすいまくる「ピエール・ロティの肖像」=「ヘビースモーカー」みたいな直截的な笑いから、「裸になった砲兵たち」のばかばかしい笑い、「正確な寸法で描かれたルソー像」「すっきりした」あたりの着想とネーミングセンスにやられる笑い、「死のトライアングル」「葬列」あたりのドキッとする不穏さ、「胸を刺した岩の上の子供」「アブサンを飲む子供の肖像」のような、例によって子供と大人の境界線が無化していく「うそ寒い」感覚、「投影」「転倒」のパラレルワールド的不安まで、自分の語彙の稚拙さが恨めしくなる多様さ。すごい。

「死のトライアングル」「消えた人々」あたりには、ルソー・オマージュ以外の作品にも通ずる、「ウォーリー」的とでも言いたい「鑑賞する行為」の楽しさがあって、個人的には特にツボでした。

ルソー以外で印象的だったのは、Y字路の部屋(特に『竹馬座』)と、和田誠と合作のヨーロッパ諸都市のポスターと、鬼怒川一日世界一周の旅あたり。
あと、城のお濠を泳いでいる一連の作品や後半の温泉モチーフの作品で、女の人がかなりの確率でわき毛を生やしているのが、妙に生々しくてよい、と思った。絵画全体の写実性とか「リアルさ」なんかどうでもよくって、そういう類の「リアル」さが大事なのだと思わされた。

あじさいがきれいだったので、つかの間デジカメ小僧に変身して、砧公園をうろついて、渋谷で買い物して帰宅。
帰る途中の中央線で、とんでもなく恐ろしいニュースを聞く。