靖国 YASUKUNI  (2007/日本・中国/李纓)

(仮にも宗教研究の一端に携わりながら)まだ見てなかったのか、と驚き・驚かれつつ。

なんだか観るのに体力要りそうだなー、という先入観のせいで、いままでいきそびれていたのである。


映画自体の感想としては、

少なくとも国会議員のセンセイが疑問視するほどの「意見」はどこにもない。

逆に、これをみて、靖国に批判的・侮蔑的な視線がある、と感じるならば、それは自身が内心そう観られても仕方がないと思っているのでは、と思うくらい、良くも悪くも「色」のないドキュメンタリーであった*1


「中国人監督」が「靖国」をどうみたのか、という「視線」を期待すると確かにちょっと消化不良だけれど、

観た人間に、自ら映し出される映像の意味を「考える」ことを要請しているという点では優れたドキュメンタリーであろう。

つまり、「映画」というより、「靖国神社」をキーワードにいろんな素材(映像、インタビュー、写真)をとってきました、という印象である。

その「素材」が、そもそも8月のあの場所に踏み入ったことのない私のような人間にとっては大変興味深かったし、

年配の靖国刀の刀匠との対話のかみ合わなさ、お互いの立場や国籍の隔たりに遠慮しつつ探りあう会話もなかなか秀逸だったけれども。



靖国に様々な動機で集う人たちの、夕食の風景、家庭での会話を見てみたいと強く思った。

それくらい、スクリーンに映し出される映像、登場する人物の大部分が「演劇的」なのだ。


軍服を着て、決して上手いとは言いがたい軍隊ラッパ(しかも食事の音楽かなんか)を吹きながら行進する一団、
天皇陛下万歳を三唱する集団、
右の方たちの集会に乱入して、つかまって馬乗りで暴行されたあげく追い出され、
警察に事情を聞かれそうになって「僕を逮捕しようというのですか!」と大仰に叫ぶ左翼の青年、
その青年に向かって「おまえ中国人だろ*2!中国に帰れ、中国に!」とスクラッチかと思うほど見事なまでに同じリズムで延々繰り返し続ける男性、
小泉首相(当時)の参拝を支持する、と掲げて、ついでに星条旗も掲げて鳥居脇にたたずむアメリカ人、
そのアメリカ人に怒る日本人*3、励ます日本人、さわぎになるから、と星条旗を仕舞わせる警察屋さん、
宗教的・民族的理由から合祀取り下げを求める人々、特に台湾の先住民族の代表・高金素梅の「激しい」感じと、
その「激しさ」を訳出しようとして過剰に感情的になって、彼女は言ってもいない「クソみたいなもんですよ!」というフレーズをやたらに使う通訳の男性、
ぬぽーっと突っ立つ神社職員、
対照的に徹頭徹尾冷静な住職の方*4など、

印象的な「登場人物」の多い「劇空間」という印象で、畢竟、その「外部」の「素」を観たいと思った。


すなわち、

「中国に帰れ」と病的なまでに連呼するおじさんは、それでも家に帰ったら普通のパパなのだろうか

という疑問に集約されるかもしれない。

仮に、そういう研究は、ゆるされるのだろうか。あの場所で。

*1:あえて言えば、日本人の撮った映像だったら、たしかに「100人斬り」のエピソードにはそこまでの時間を割かなかっただろう、という程度。それも個人差。

*2:実際は日本人

*3:まさかの「毛唐」発言

*4:この方だけが普通にコミュニケーションの成り立つ相手、という印象